保活からの脱却 - 働き方改革

すごく素敵な文章を読んだ。
「生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符」
というタイトルの通り、生命を燃やしているかのような力強さ、筆者の方の熱量が直接伝わってくるような文章だ。

 

鶏が先か卵が先か - 私はこの言葉を実際に聞いたことがある。それは、年度の途中に保活をしていたときのこと。仕事が先か保育園が先か、それは鶏が先か卵が先かのようなこと、と見学を担当してくれた保育園の担当者は言った。預け先がなければ仕事ができない、仕事がなければ(点数が低いので)保育園に入れない。運良く一度目の保活が終わり、今は働いているが、今月から二度目の保活が始まった。引っ越しすることになったからだ。年度の変わり目だが、時期が悪い。4月入園の募集は既に終わっているところが多い。電話をかけても対応の冷たさから状況の悪さを実感する。

 

保育園に入れなければ仕事ができない。失業の危機。生活苦。それに、子供は保育園に通わせたい。保育園に通っていた方がプロの保育士の先生に遊んでもらえ、季節に合わせた行事を体験できる。そして何より給食が出るので、栄養面でも安心だ。

 

しかし、これでは思考停止ではないか?私はいつも片方の視点からしか物事を考えていないことに最近気付いた。保育園に入れなければ仕事はできないのか?会社で働くだけが仕事なのか?今の仕事をやめなければならなくなってしまった場合、それはデメリットでしかないのか?

 

小さい子供を持ちながらフルタイムで働くのは私にとっては難しい。物理的には不可能ではない。だが、子供が風邪をひいたときに慣れない病児保育に預けてまで仕事をしたいのか。自分が子供の立場なら具合が悪いときほど慣れた自宅で休みたいだろう。それならば、会社が決めた働き方ではなく、自分で働き方を選択したい。今はその方法を模索中だ。

 

今の仕事をやめれば、自由になる時間が増える。そうすれば、今までやりたいと思いながら日々の家事に追われできなかったことに時間を割けるようになる。子供のために保育園に入れたい?それができないなら私がその場を提供すればいい。毎日公園で外遊びをし、科学館に連れて行き、動物園に連れて行き、子供向けのミュージカルや人形劇なんかもいい。給食?私が努力して作ろう。私は料理をすると気分が悪くなるほど料理が苦手だ。それでも、料理ができることはメリットにしかならない。時間ができたときならじっくり取り組める。

 

そして、生命を燃やし私は何を生み出すのか。答えはまだ見つかっていない。でもやりたいことや、それを実現するために何を思考するのか。これかもというのが見えてきた。なんとなく興味があるとかやってみたいと思っていたことだがすごくしっくりくる。

 

記事には「思考停止に陥ってしまっている人は命の凝縮のエネルギー産物に触れるとよい」とある。そのような方には私は最近見た映画、「グレイテスト・ショーマン」をおすすめする。全てのダンスシーンが涙が出るほど素晴らしい。出演している俳優、制作に関わったスタッフ、とにかくこの映画の全てから命を燃やして生まれたエネルギーを感じる。


http://www.foxmovies-jp.com/greatest-showman/

 

私は今まで思考停止していて、命を失ってきた。出産したことで自分もまた生まれたような気がしている。だからこれからは一生懸命に思考して命を燃やして生きていく。